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世界自然紀行

日本、そして世界の植物をめぐる旅

太古の森に生きる、原始の花に会いに行きます。

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「花のきた道」についてもっといろんなことを書きたかったのですが、旅の準備だったり、なんだかんだと忙しかたりして、ようやくいま書きだしています。いつも更新が滞ってて、ほんと申し訳ないです。

前回の記事で、これから原始的な花を追いかけていきたい、ということを書きました。このテーマを思いついたのは、今年の2月頃でした。僕はそれまで、今年もまた南アフリカに行くつもりでいました。南アフリカには、まだまだ写真に収めたい魅力的な植物があります。だから、これからも可能な限り、通い続けたいと思っています。ただ、ちょっとだけ違うことをやってみたくなったのです。

最近つくづく思います。時間は限られているなぁ、と。えらく悲観的な考えに聞こえますが、やっぱりそう思わずにいられません。

たとえば南アフリカ。2006年にはじめて訪れて、その後、2008年、2009年、2011年に2回と、5年間で5回訪れました。そのほとんどが、サキュレントカルーと呼ばれる砂漠植生の広がる南アフリカ西部です。ずいぶんいろんなところを訪れましたが、それでもまだ見れていない植物があります。僕はコレクターじゃないですから、何かの仲間を全種類写真に収めたい、とかそんな野望はありません。でもサキュレントカルーを代表するような植物は押さえておきたい、と思っています。そのためには、最低でもまだあと3回くらい。1年に1回とするなら3年は通わないといけないだろうなぁ、と思っています。…それを成し遂げたとしても、誰かからお金をもらえたり、出版のお話があったりするわけではないんですけどね。困ったことに。

南アフリカのサキュレントカルーというテーマだけで、ほぼ10年。ある人から「ずいぶん効率の悪いことをしてるね」と言われました。たしかに、ちゃんとしたツアーに参加すれば、もっと効率よく、短い期間で見たい植物を見れていたかもしれません。でも、そのためには個人で行く場合の倍以上の旅費が必要になりますね。僕にはちょっと無理です。それに、人に案内してもらうツアーでは、絶対に出会えないもの、味わえない体験があるだろうと僕は信じています。だからまあ、これでよかったのでしょう。

とにかく、仮にひとつのテーマに10年、いや、もう少し控えめに5年として、人生であとどれだけの作品テーマに取り組むことができるか。60歳までに6テーマ? それも、いまの生活が続けられたとして、の話になります。写真家として生計を立てているわけではないから、何がどうなるかはわかりませんよね。

植物好きなら一度は見てみたい、ラフレシアとショクダイオオコンニャク。アメリカ南部からメキシコにかけてのサボテン、とくにバレル・カクタス。南米のアンデスも、もう一度しっかり写真を撮ってみたい。ギアナ高地も死ぬまでには行ってみたい。もう一度ヒマラヤも。ヨーロッパアルプスも。西オーストラリア、ニュージーランドも…。いろいろと夢見ていましたが、どうやらそのすべては難しいかもしれません(何度も南アフリカ行ってるだけで贅沢な話ですね、すみません)。

それなら、どうせ行ける場所が限られているのなら、誰もやらないことをやってみたい。そう思うようになりました。いや、断っておきますが、誰も「できない」のではなく「やらない」だけです。僕はふつうの人間ですから、そんな大したことはできません。誰にでもできることです。ただ、ちょっと目線を変えれば、自分ならではのテーマを見つけることができるんじゃないか、と。

それが「花のきた道」です。

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基部被子植物(Basal Angiosperm)と呼ばれる原始的な被子植物の一群を、片っ端から写真に収めて(全種は不可能だけど)、ずらっと並べてみたらどうなんだろう。その中には野草愛好家や植物写真家が見向きもしないような地味な植物もあったりするけど、そういうものも本気で撮影して、その植物としての特徴と魅力を最大限に引き出してやる。全部を眺め渡してみると、1億数千年前の初期の被子植物(=初期の花)の姿というか、試行錯誤のあとというか、何か見えてくるんじゃないだろうか。

…いや、何も見えてこない気が、大いにしてるんですけどね。でもその撮影の過程で、少なくとも僕の中では何か感じられることがあるでしょう。本質は過程にあると信じましょう。

この半年間、いろいろ思い悩んだり、準備したり、国内の撮影に出かけたり、「花のきた道」を追いかけてきました。僕の予定では、さらっと1年ぐらいで片付けてしまいたいテーマだったのですが、来年の夏までかかりそうな気がしてきました…。例えば、自生が極めて限られているオニバス(スイレン科)。いろいろ詳しい方にあたってみたりしたのですが、今年は生育が悪いらしく、撮影はかないませんでした。さらに海外の植物にまで目をやると、厄介なのがたくさんあります。アマゾンのオオオニバスなんて、どうしましょうね…。

そんな厄介な植物のひとつが、これから向かう森に待ち構えています。オーストラリア北東部の熱帯雨林に自生するツル植物、オーストロバイレヤ・スカンデンス(Austrobaileya scandens)です。困ったことに、この植物は気をよじ登って樹冠で花を咲かせます。近くで撮影するためには、木に登らなくてはいけません。

オーストロバイレヤを今回のテーマの最難課題と捉え、半年間いろいろと準備してきました。完璧だったとは言えませんが、できるだけのことはやってきたと思います。ツリークライミングの講習を受け、いろいろと練習していたのもこのためです。詳しい自生地については、現地の研究者とメールのやりとりをして教えてもらいました。彼の話では、低い位置に咲くこともあるようです。でも、できることなら樹冠で咲く姿を捉えたいので、ギア類はすべて持っていきます。ちょっと許可に関してはっきりしないところがあり、どうなるかわかりませんが。

その他にも目当ての植物があるのですが、長くなりすぎたので、このあたりで。

今回はMacBook Airを持って行って、向こうでポケットWifiを借りるつもりなので、電波さえ入れば、現地からの新鮮な便りをお届けできるかと思います。Facebookが中心になるかと思います。どうぞお楽しみにしていてください。乱文につき失礼いたしました。

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最後にお礼。

このテーマを思いついて、まず最初にいろいろと話を聞かせていただいた東京大学大学院総合文化研究科・伊藤元己教授。オーストロバイレヤの自生地について何度もメールのやりとりに付き合って下さったオーストラリア科学産業研究機構(CSIRO)のAndrew Ford氏。トリメニアの自生地について詳しく教えて下さった金沢大学大学院・山田敏弘氏。トリトゥリアの標本写真など、貴重な情報を提供して下さったクイーンズランド・ハーバリウムのMega Thomas氏。ツリークライミングの様々な技術について的確なアドバイスを下さった、近藤さんほかツリークライミングクラブみゃあの皆さん。

どうもありがとうございました。

2012年8月24日 関西国際空港にて
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突然ですが、皆さんのまわりでは、いまどんな花が咲いていますか?
通勤や通学の途中、道端や空き地に咲くさまざまな野草。
人家の庭や花屋の店先に集められた、世界各地の花々。
私たちの身のまわりには、驚くほどたくさんの花があふれています。

日本人はおそらく、世界で最も花を愛でることの好きな民族のひとつでしょう。
その証拠に、花は日本人の文化や価値観に深く影響を及ぼしています。
なにも人を楽しませるために生まれてきたわけではないのに、
私たちはその存在に魅了され、多くの影響を受けている…不思議なものです。

では、いったい花はどこから、どうやって生まれてきたのでしょうか?

そんなことを考えたことのある人は少ないかもしれません。
しかし僕にとっては、とても興味をそそられる問題です。
多くの植物学者にとってもそうでした。

そもそも花は、被子植物にしかない生殖器官です。より「原始的」な裸子植物(針葉樹やソテツ、イチョウなど)には、花と呼べる器官はありません。両者の間には、はっきりとした隔たりがあり、その間を埋めるような植物はどこを探しても見当たりません。

花はまるで、ある日、こつ然と姿を現したかのように見えます。そしてあっという間に地球上を覆いつくし、25万種を超える圧倒的な生物群へと多様化したのです。かのチャールズ・ダーウィンは、花の起源と多様化を「忌まわしき謎(abominable mistery)」とまで呼びました。それほど古くから、生物学者・植物学者にとっては大きな課題だったのです。

花が生まれたのは、太古の昔のこと。誰も目にすることはできません。それでも、確かなことがひとつ言えます。花は手品のように、どこからともなく現れたわけではありません。祖先から子孫へとつづく進化の道のりを、確かに歩んできたはずなのです。それは、言わば「花のきた道」です。

研究者たちは、この「花のきた道」を少しづつ明らかにしてきました。

現在までに見つかっている最古の花の化石は、アーカエフルクタスです。1億2500万年前の白亜紀初期の地層から見つかりました。まだ恐竜が陸上を闊歩し、哺乳類はその片隅でほそぼそと生きていた時代の植物です。この化石は、たしかに原始的な花の特徴をいくつも備えていました。しかし、その解釈には議論があり、花の起源を突き止める決定打とはなっていません。

一方、現存する被子植物の系統関係(家系図のようなもの)が、’90年代から'00年代にかけて、次々と明らかになりました。そして、それまでさまざまな学説が提唱されていた「現存する被子植物の中で、もっとも原始的なものは何か」という問いに、ついに答えが出されました。

遺伝情報に基づく解析の結果、現存する被子植物の最も基部に位置づけられたのは、アムボレラという植物でした。ニューカレドニアのみに自生する低木で、ごく小く地味な花をつけます(7年前にこの花を実際に見ました)。同時に、アムボレラにつづく原始的な被子植物の一群も明らかになりました。それらはBasal Angiosperms(=基部被子植物…堅苦しい名称ですが)と呼ばれています。

たとえば基部被子植物は、私たちの身近なところにもあります。仏花として用いられるシキミ(シキミ科)。ぬめりのある若芽がお吸い物などに使われるジュンサイ(ハゴロモモ科)。溜池に清楚な白い花を咲かせるヒツジグサ(スイレン科)。百人一首にも読まれ、秋に赤く美しい果実をつけるサネカズラ(マツブサ科)。

ありふれた種も、希少種もありますが、これらはみな1億数千万年前の、花が生まれて間もない頃の植物の生き残りです。被子植物の起源はまだ明らかになったわけではありませんが、これらの植物を通して、私たちは原始の花の姿を感じることができるのです。

さて、ここまで前置きが長くなってしまいましたが、僕は今年から来年にかけて、この基部被子植物を被写体として追いかけ、「花のきた道」を見つめていきたいと思っています。日本に自生する種はもちろん、海外に自生する種も現地まで出かけて写真に収めます。全種はちょっと不可能でしょう。全属…も難しいかもしれません。しかし、代表的なものを、できる限り捉えるつもりでいます。

はたしてこのテーマが価値あるものなのかどうかは、いまだに確信を持てずにいます。

植物学者にとっては聞き飽きたような存在だし、ネイチャーフォトとしてみれば、あまりに理屈が先に立ちすぎているような気もします。それに、「高山の植物」とか「○○国の植物」というような一貫したテーマ性を見出すのも困難です。日本に自生する種を見ても分かるように、それらは原始的な植物という共通点はあるものの、まったくもって寄せ集めのような存在です。

こんな作品、誰も求めていないのかもしれません。そもそも「作品」と呼べるほどの写真が、自分に撮れるかどうかもわからない。でも、だからこそ、「俺ぐらいしか、やる奴いないだろう」と思えてきます。

基部被子植物は、初期の被子植物がさまざまな生き方に挑んだあとの、「燃えかす」のような存在だと思っています。断片的な燃えかすを集めたって、何も見えてこないかもしれないし、何かつまらないことが見えてくるかもしれない。

どうなるかは分かりませんが、やってみます。できるかぎりの写真を皆さんにお届けします。そして「花のきた道」を伝えていこうと思っています。

2012年7月3日 細川健太郎

【参考文献】
伊藤元己(2012)新・生命科学シリーズ「植物の系統と進化」,裳華房
Soltis, D. E. et al. (2008) Origin and Early Evolution of Angiosperms. Ann. N.Y. Acad. Sci. 1133: 3–25.

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アムボレラ・トリコポーダ(2005年ニューカレドニアにて)