突然ですが、皆さんのまわりでは、いまどんな花が咲いていますか?
通勤や通学の途中、道端や空き地に咲くさまざまな野草。
人家の庭や花屋の店先に集められた、世界各地の花々。
私たちの身のまわりには、驚くほどたくさんの花があふれています。
日本人はおそらく、世界で最も花を愛でることの好きな民族のひとつでしょう。
その証拠に、花は日本人の文化や価値観に深く影響を及ぼしています。
なにも人を楽しませるために生まれてきたわけではないのに、
私たちはその存在に魅了され、多くの影響を受けている…不思議なものです。
では、いったい花はどこから、どうやって生まれてきたのでしょうか?
そんなことを考えたことのある人は少ないかもしれません。
しかし僕にとっては、とても興味をそそられる問題です。
多くの植物学者にとってもそうでした。
そもそも花は、被子植物にしかない生殖器官です。より「原始的」な裸子植物(針葉樹やソテツ、イチョウなど)には、花と呼べる器官はありません。両者の間には、はっきりとした隔たりがあり、その間を埋めるような植物はどこを探しても見当たりません。
花はまるで、ある日、こつ然と姿を現したかのように見えます。そしてあっという間に地球上を覆いつくし、25万種を超える圧倒的な生物群へと多様化したのです。かのチャールズ・ダーウィンは、花の起源と多様化を「忌まわしき謎(abominable mistery)」とまで呼びました。それほど古くから、生物学者・植物学者にとっては大きな課題だったのです。
花が生まれたのは、太古の昔のこと。誰も目にすることはできません。それでも、確かなことがひとつ言えます。花は手品のように、どこからともなく現れたわけではありません。祖先から子孫へとつづく進化の道のりを、確かに歩んできたはずなのです。それは、言わば「花のきた道」です。
研究者たちは、この「花のきた道」を少しづつ明らかにしてきました。
現在までに見つかっている最古の花の化石は、アーカエフルクタスです。1億2500万年前の白亜紀初期の地層から見つかりました。まだ恐竜が陸上を闊歩し、哺乳類はその片隅でほそぼそと生きていた時代の植物です。この化石は、たしかに原始的な花の特徴をいくつも備えていました。しかし、その解釈には議論があり、花の起源を突き止める決定打とはなっていません。
一方、現存する被子植物の系統関係(家系図のようなもの)が、’90年代から'00年代にかけて、次々と明らかになりました。そして、それまでさまざまな学説が提唱されていた「現存する被子植物の中で、もっとも原始的なものは何か」という問いに、ついに答えが出されました。
遺伝情報に基づく解析の結果、現存する被子植物の最も基部に位置づけられたのは、アムボレラという植物でした。ニューカレドニアのみに自生する低木で、ごく小く地味な花をつけます(7年前にこの花を実際に見ました)。同時に、アムボレラにつづく原始的な被子植物の一群も明らかになりました。それらはBasal Angiosperms(=基部被子植物…堅苦しい名称ですが)と呼ばれています。
たとえば基部被子植物は、私たちの身近なところにもあります。仏花として用いられるシキミ(シキミ科)。ぬめりのある若芽がお吸い物などに使われるジュンサイ(ハゴロモモ科)。溜池に清楚な白い花を咲かせるヒツジグサ(スイレン科)。百人一首にも読まれ、秋に赤く美しい果実をつけるサネカズラ(マツブサ科)。
ありふれた種も、希少種もありますが、これらはみな1億数千万年前の、花が生まれて間もない頃の植物の生き残りです。被子植物の起源はまだ明らかになったわけではありませんが、これらの植物を通して、私たちは原始の花の姿を感じることができるのです。
さて、ここまで前置きが長くなってしまいましたが、僕は今年から来年にかけて、この基部被子植物を被写体として追いかけ、「花のきた道」を見つめていきたいと思っています。日本に自生する種はもちろん、海外に自生する種も現地まで出かけて写真に収めます。全種はちょっと不可能でしょう。全属…も難しいかもしれません。しかし、代表的なものを、できる限り捉えるつもりでいます。
はたしてこのテーマが価値あるものなのかどうかは、いまだに確信を持てずにいます。
植物学者にとっては聞き飽きたような存在だし、ネイチャーフォトとしてみれば、あまりに理屈が先に立ちすぎているような気もします。それに、「高山の植物」とか「○○国の植物」というような一貫したテーマ性を見出すのも困難です。日本に自生する種を見ても分かるように、それらは原始的な植物という共通点はあるものの、まったくもって寄せ集めのような存在です。
こんな作品、誰も求めていないのかもしれません。そもそも「作品」と呼べるほどの写真が、自分に撮れるかどうかもわからない。でも、だからこそ、「俺ぐらいしか、やる奴いないだろう」と思えてきます。
基部被子植物は、初期の被子植物がさまざまな生き方に挑んだあとの、「燃えかす」のような存在だと思っています。断片的な燃えかすを集めたって、何も見えてこないかもしれないし、何かつまらないことが見えてくるかもしれない。
どうなるかは分かりませんが、やってみます。できるかぎりの写真を皆さんにお届けします。そして「花のきた道」を伝えていこうと思っています。
2012年7月3日 細川健太郎
【参考文献】
伊藤元己(2012)新・生命科学シリーズ「植物の系統と進化」,裳華房
Soltis, D. E. et al. (2008) Origin and Early Evolution of Angiosperms. Ann. N.Y. Acad. Sci. 1133: 3–25.
通勤や通学の途中、道端や空き地に咲くさまざまな野草。
人家の庭や花屋の店先に集められた、世界各地の花々。
私たちの身のまわりには、驚くほどたくさんの花があふれています。
日本人はおそらく、世界で最も花を愛でることの好きな民族のひとつでしょう。
その証拠に、花は日本人の文化や価値観に深く影響を及ぼしています。
なにも人を楽しませるために生まれてきたわけではないのに、
私たちはその存在に魅了され、多くの影響を受けている…不思議なものです。
では、いったい花はどこから、どうやって生まれてきたのでしょうか?
そんなことを考えたことのある人は少ないかもしれません。
しかし僕にとっては、とても興味をそそられる問題です。
多くの植物学者にとってもそうでした。
そもそも花は、被子植物にしかない生殖器官です。より「原始的」な裸子植物(針葉樹やソテツ、イチョウなど)には、花と呼べる器官はありません。両者の間には、はっきりとした隔たりがあり、その間を埋めるような植物はどこを探しても見当たりません。
花はまるで、ある日、こつ然と姿を現したかのように見えます。そしてあっという間に地球上を覆いつくし、25万種を超える圧倒的な生物群へと多様化したのです。かのチャールズ・ダーウィンは、花の起源と多様化を「忌まわしき謎(abominable mistery)」とまで呼びました。それほど古くから、生物学者・植物学者にとっては大きな課題だったのです。
花が生まれたのは、太古の昔のこと。誰も目にすることはできません。それでも、確かなことがひとつ言えます。花は手品のように、どこからともなく現れたわけではありません。祖先から子孫へとつづく進化の道のりを、確かに歩んできたはずなのです。それは、言わば「花のきた道」です。
研究者たちは、この「花のきた道」を少しづつ明らかにしてきました。
現在までに見つかっている最古の花の化石は、アーカエフルクタスです。1億2500万年前の白亜紀初期の地層から見つかりました。まだ恐竜が陸上を闊歩し、哺乳類はその片隅でほそぼそと生きていた時代の植物です。この化石は、たしかに原始的な花の特徴をいくつも備えていました。しかし、その解釈には議論があり、花の起源を突き止める決定打とはなっていません。
一方、現存する被子植物の系統関係(家系図のようなもの)が、’90年代から'00年代にかけて、次々と明らかになりました。そして、それまでさまざまな学説が提唱されていた「現存する被子植物の中で、もっとも原始的なものは何か」という問いに、ついに答えが出されました。
遺伝情報に基づく解析の結果、現存する被子植物の最も基部に位置づけられたのは、アムボレラという植物でした。ニューカレドニアのみに自生する低木で、ごく小く地味な花をつけます(7年前にこの花を実際に見ました)。同時に、アムボレラにつづく原始的な被子植物の一群も明らかになりました。それらはBasal Angiosperms(=基部被子植物…堅苦しい名称ですが)と呼ばれています。
たとえば基部被子植物は、私たちの身近なところにもあります。仏花として用いられるシキミ(シキミ科)。ぬめりのある若芽がお吸い物などに使われるジュンサイ(ハゴロモモ科)。溜池に清楚な白い花を咲かせるヒツジグサ(スイレン科)。百人一首にも読まれ、秋に赤く美しい果実をつけるサネカズラ(マツブサ科)。
ありふれた種も、希少種もありますが、これらはみな1億数千万年前の、花が生まれて間もない頃の植物の生き残りです。被子植物の起源はまだ明らかになったわけではありませんが、これらの植物を通して、私たちは原始の花の姿を感じることができるのです。
さて、ここまで前置きが長くなってしまいましたが、僕は今年から来年にかけて、この基部被子植物を被写体として追いかけ、「花のきた道」を見つめていきたいと思っています。日本に自生する種はもちろん、海外に自生する種も現地まで出かけて写真に収めます。全種はちょっと不可能でしょう。全属…も難しいかもしれません。しかし、代表的なものを、できる限り捉えるつもりでいます。
はたしてこのテーマが価値あるものなのかどうかは、いまだに確信を持てずにいます。
植物学者にとっては聞き飽きたような存在だし、ネイチャーフォトとしてみれば、あまりに理屈が先に立ちすぎているような気もします。それに、「高山の植物」とか「○○国の植物」というような一貫したテーマ性を見出すのも困難です。日本に自生する種を見ても分かるように、それらは原始的な植物という共通点はあるものの、まったくもって寄せ集めのような存在です。
こんな作品、誰も求めていないのかもしれません。そもそも「作品」と呼べるほどの写真が、自分に撮れるかどうかもわからない。でも、だからこそ、「俺ぐらいしか、やる奴いないだろう」と思えてきます。
基部被子植物は、初期の被子植物がさまざまな生き方に挑んだあとの、「燃えかす」のような存在だと思っています。断片的な燃えかすを集めたって、何も見えてこないかもしれないし、何かつまらないことが見えてくるかもしれない。
どうなるかは分かりませんが、やってみます。できるかぎりの写真を皆さんにお届けします。そして「花のきた道」を伝えていこうと思っています。
2012年7月3日 細川健太郎
【参考文献】
伊藤元己(2012)新・生命科学シリーズ「植物の系統と進化」,裳華房
Soltis, D. E. et al. (2008) Origin and Early Evolution of Angiosperms. Ann. N.Y. Acad. Sci. 1133: 3–25.
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沢木耕太郎の言葉を借りるとすれば「真剣に酔狂なことをやる」ってことだね。
心が満たされるまでやっちゃって下さい!応援しています♪
2012.07.04 06:14 URL | ひろぴん #- [ 編集 ]

ありがとう(^_^)
なかなか困難なテーマですが、頑張ります!
2012.07.05 23:12 URL | けんたろ #- [ 編集 ]

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